玉澤からの返信(甲第三号証書き起こし)-平成13年5月17日付

高橋 脩君

五月一六日に貴君よりの書類一切を兼平君より受け取りました。

この件は、内容証明でやり取りすることよりも、お互いに直接会って話をすることが一番だと思います。
いつでも時間はとります。連絡を待っております。

二人で会うのが正確を期さないというのでしたら、吉田君も同席してよいと云っております。

この年齢になっても、お互いに昔から云っていたように、正面から向き合って堂々とやろうという精神は忘れておりません。

平成十三年五月一七日

 玉澤 徳一郎

平成 27年 1月 30日の口 頭弁論期日におい て、時効を援用するとの意思表示をした。

玉澤側の主張は、私が平成13年5月10日、上記1000万円を、同月31日までに返還するよう催告した内容証明により 10年が立った平成23年5月31日に時効が成立したとのものであった。

しかしながら当初は政治資金として頂戴したとの主張をおこなっていたが、翻し借入の事実は認めている。ここに裁判時の資料を掲載する。

 

陳述書(甲四号証)

 

原告と被告、玉沢徳一郎(以下被告)、(故)吉田君の3人が友人となったのは盛岡一高に入学し柔道部に入部した時から始まりました。2年生の時、ドラム缶で筏を組み盛岡~石巻まで6日間の冒険旅行をしたときに刎頸の友だ、死ぬも生きるも一緒だ、の誓いもしたものです。

卒業して十数年後、原告は(株)東日本開発を経営し、吉田君を専務として不動産、土木建設、温泉、掘削等広く事業を手掛け、東京にも子会社を設立するなどして順調に推移していた。

昭和47年秋口、被告が原告の事務所に来て近々衆院選が始まるので資金を井上さんという人にお願いしたところ「地元でまとまった資金が出るなら出してやる、地元から出せないのなら出せない。」と言われたとのことでした。

井上さんがどんな人なのかと聞いたらかつての大陸侵攻時代、満州国(時代)の関山機関の頭目関山義人の一番番頭とのことでした。

大学時代の友はいくら頼んでもだめだなどと愚痴を長時間話し続け、やっぱり高校の時の友は本当の友だ、などと話されたのですが、巨大、巨額な話なので返答に困り、用事もあって事務所を出たら道路まで追いかけてきて頼む頼むと何度も頭を下げられた。

私は情に折れやむなく承知して、次の日銀行から金一千万円を引出し(故)吉田君とともに被告宅へ赴き帯封を切らず貸し渡した。この時吉田君を交え借用証なし、領収証なし、支払いは無期限として被告が全額原告に支払いを終えるまでとした。

私が甲一号証を被告に送付して、甲三号証が私のもとに来てその数年後被告から1通手紙が届いています。その中身内容は「君から金一千万円等を借りた覚えはない、金一千万円は政治献金としてありがたく頂戴する。」 とのものでした。公序良俗に反しまさにゴロツキの論理そのものです。

私は腹が煮える思いで、そのまま行動すれば法廷に縄付きで、立つようになってしまうと思い「井上さんはぶっ殺す価値もなし」の言を心に念じ自分の心をセーブしました。こんなものを読み返していてはいけないと思い処分した気がします。

被告は大学時代M .R .A (道徳再武装)という団体に入信没頭して約2年間休学し中南米を演劇等して回りました。その聞も手紙のやり取りもありましたが、その中身内容に強い違和感があったので青年会の仲間と寺の住職を訪ね一晩中ディスカッションをしたことがあります。仏教等とは相いれないもので、識に薄っぺらなものだと今でも思っています。

政治献金等毛頭考えたことはありません。

 

 

甲第四号証 陳述書と準備書面に対する反論<玉澤からの反論>

 

原告 高橋 脩と被告玉澤徳一郎と吉田潤ーの三人は高校2年生の時盛岡から石巻まで北上川を下ったのは事実です。「死ぬも生きるも一緒」の誓いをして学友に見送られながら決行したのは事実です。三人は刎頸の友であり親友でありました。

玉澤が昭和44年に初立候補したときは、高橋君は事務局長として応援していただきました。吉田君は昭和51年の総選挙に初当選してから30年にわたって後援会の事務局長として勤めてくれました。

両君は昭和44年の総選挙が終わってから「東日本開発」と言う不動産を主として扱う会社を設立しました。その際高橋君は「この会社を作って玉澤の政治資金を作る」と明言してくれました。

当時の土地ブームもあり、高橋君、吉田君が一緒になって会社を経営して利益を上げ、その一部を政治資金として頂きました。それから29年経ち、平成13年になって、高橋君が玉澤に貸した金を返せと行ってきましたが、吉田君は借入金としては、一度も認めませんでした。

 準備書面の3に有るような三人で口頭で契約した事実は全くありません。

 更に陳述書では「大学時代の友人はいくら頼んでもダメだ」うんぬんが書かれていますがそのようなことは決してありませんでした。

早大雄弁会の学友中心に大変多くの皆様に支援して頂き、その中でも(マンション経営で成功し)事務所開設を応援してくれた小野寺直三君と高橋君とは3人で東京であった事実を指摘するだけで十分であろう。

昭和47年の総選挙は11月解散、12月選挙であり、この政治資金と東京からの支援で戦うことが出来たのであり、(準備書面にある)1千万円を原資として3千万円を借り入れた事実はない。

 

甲第五号証 陳述書

1.

被告の甲第4号証に対する反論が2月20日公判当日に提出されましたが内容があまりにも事実と相違するため改めて陳述します。

会社を設立して玉澤の政治資金を作るなどと話したことは一度もありません。昭和44年のときでコリゴリでした。吉田君は借入金を認めないとありますが事実は逆、玉澤自身が借入金を認めたのであるし吉田君立合いの上であった。

玉澤の借金が膨大で今はどうにもならないと何度か云われてます。

小野寺直三君は東京のハッタリ屋とみてました。込入った話をしたことはありません。大学時代の友人が怪しい仏像を持込み詐欺をしようとした者もいました。

金一千万円を原資(呼水)として金三千万円を借入れた事実はないと言っていますが、この件は事実です、私の知っている分が金三千万円です。私の知らない分もあるはずです。 

2.

私が被告に金一千万円を貸して一カ月後ぐらいに関山義人本人が来盛して主だった者30名に撒を飛ばしてました。1 1月末になって選挙が始まり高倉健や相撲の関取衆も来盛し、内部から派手すぎるとの声も出たくらいです。このとき(昭和47年12月)の法定費用は約370万円です。実際に用された金額はその10倍を超えるものでした。

落選でしたがその後からは選挙資金は潤沢そのものでした。法定費用等守ったことは一度もありません。吉田君は公民権停止になり、政治資金規正法に抵触する方々で被告にこき使われ悲鳴を上げてこの世を去りました。

3.

今年1月29日に初公判の前日、被告は盛岡市寺ノ下の高校の同期の工藤哲男君の家を訪家して私に借金があるとの話してます。にもかかわらず法廷に来れば政治資金だと頑張ります。人の道も信義も思義も恥も被告には信義誠実の原則も通用しないのでしょうか。

20年前の阪神淡路大震災のとき被告は防衛庁長官でした。選挙法は完全に無視したのに自衛隊法は固く固く守りました

自分のパッヂと椅子を守るためでしょう、自衛隊の出動は20時間以上ストップのままでした。

即時出動できれば6400名のうち2000名は助かっただろうといわれてます。被告の人間性の欠如です。

4.

被告は大学院卒業後すぐに国会議員千葉三郎の事務所に書生としていたことがあります。千葉三郎議員は知る人ぞ知る前大戦の時代からかなりのポストの人です。私も二度ほど被告と同行して事務所に入ったことがあります。

そのとき被告は「この前の大戦が終わるとき大陸から莫大な金塊・プラチナ塊を本土に持込んで、何人かの国会議員を生出してる大物がいるのでそこに行きっきたいがなかなか行きつけない」と云ったので私はマンガの話だろうと笑い飛ばしました。近年阿片王(新潮社佐野信一著) なる本に出会い事実と知りました。

5.

里見甫を頭目として東条英機、岸信介、笹川良一、児玉誉志夫、関山義人、大川周明、松岡洋介等々その内容背筋が凍る思いで読みました。

阿片が金塊・プラチナ塊に姿を変えて本土に飛行機で持ち込まれたことも記されてます。阿片の匂いがついてるような金に手を付けると脳みそも変質してしまうものとされています。

少年の頃の玉津徳一郎はどこにも居ません。

6.

前回平成27年2月20日裁判を行なった際被告らは、言葉をひるがえし借入れを認めた。そこで時効の採用はできない。

7.

政治資金の証明をせよ。

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